私は日本人です…戦争の“忘れ形見”フィリピン残留孤児

2019/08/14(水)22:00
終戦から74年、ジパングが長年追い続けた「フィリピン残留日本人」問題のその後を送る。首都マニラの路地裏で暮らす、冨里(フサト)ゼナイダ・スミコさん78歳。4歳の時、父親が日本に強制送還され、その直後に母親も亡くなり、孤児として伯母に育てられた。次第に両親の記憶も薄れていく中、ある日、自分の出生証明が見つかり日本人だと知る。そして2009年、父親の名前の記録から、日本人として国籍を回復。沖縄に異母兄弟がいることが分かったのだ。そして今年、初めて日本の地、沖縄に里帰り。そこで亡き父の墓前に立ち、幼い頃に両親が歌ってくれた歌を思い出したのだ。その曲を知り、スミコさんは我々のカメラの前で号泣する。

「ラストチャンス 残された時間はわずか・・・」
“戦争の悲劇”残留孤児というとまず中国が想起されるが、ベトナム、インドネシア、ミャンマーなど、アジア各国に存在する。中でも中国に次いで、多いのが実はフィリピンだ。調査では3500人以上とされているが、身元の判明した2500人近くの残留2世たちが、今も日本国籍の回復を待っているのだ。その最大の問題は高齢化、調査に当たる団体は「ラストチャンス、残された時間はない」と話す。そんな中、また一人「日本人だ」と名乗る女性が現れた。ジパング取材班がその島へ飛ぶと、驚きの事実に直面する。

「“アジアの病人”貧困の連鎖は止められるか!?」
成長率6%台を続けるフィリピン。開発ラッシュにより不動産価格が高騰し、プチバブルの様相を見せている。その一方で首都マニラは、かつて“アジアの病人”と呼ばれた当時のような貧困層が暮らす地区が残っている。そこで問題となっているのが、医者にかかれず手遅れになり、手や足を失ってしまった人たちだ。そこに最新の技術を使って貢献する日本人がいた。さらに新たなスーパーフードの開発で、フィリピンの貧困問題に挑む日本企業も取り上げる。
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